木の実ナナ
性别:男别名:Kinomi Nana生日:未知出生地:未知星座:未知小档案木の実 ナナ(きのみ ナナ、1946年7月11日 - )は、日本の女優、歌手である。所属事務所はアトリエダンカン。東京都向島区寺島町(現在の墨田区向島)出身。区立寺島中学校卒業、城西高等学校中退。小简介出身地付近は鳩の街と呼ばれた歓楽街だった。幼少期は、彫りの深い独特の顔立ちから混血児に間違えられ、苛められた経験がある。父はトランペット奏者、母は踊り子。父が19歳、母が20歳の時に生まれた。体が弱く、3歳まで歩けなかったという[2]。その後、身体を鍛える為に5歳からバレエを始めると直ぐにのめり込み、ダンサーに憧れを持つ。中学3年の時に渡辺プロ主催の新人オーディションがジャズ喫茶「新宿ACB」で開催されるも、受験する友人は緊張の余り固まってしまい、困った司会者より「じゃあ!君が代わりに唄って!」と指名され、堂々とした唄いっぷりもあって優勝。猛反対する父親を説き伏せ芸能界入りした。デビュー曲は「東京キカンボ娘」1962年。菊村紀彦作詞・作曲。「木の実ナナ」の芸名は、この時に菊村によってつけられた。漢字、ひらがな、カタカナの三つがそろった名前は、菊村が「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」という思いを込めたものだという。「着の身着のまま」が芸名の由来という説は木の実ナナ自身が否定している。[3]。1962年、音楽番組『ホイホイミュージックスクール』(日本テレビ)でデビュー。当時、この番組のイメージにより「ホイホイ娘」と呼ばれていた。1967年には「ミニミニロック」という曲をヒットさせた。人気を集めたが番組終了と同時に低迷、前座歌手をする日々が続く。またヒット曲に恵まれず、心機一転として1970年には本場のショー・ビジネスを学ぼうと渡米。1973年、帰国後に劇団四季のミュージカルに自ら応募。同年「アプローズ」に出演、ヒット作となり、自身も高い評価を受けて舞台女優としての地位を確立した。この時、主演を務めた越路吹雪とは共演を機にプライベートでも親しく付き合うようになり、多大な影響を受けたと言う。以後、多数のミュージカルに出演する様になった。1974年から始まった、細川俊之との歌と踊りとしゃれた会話でつづる二人芝居『ショーガール』は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなる。1975年、芸術選奨新人賞受賞。1976年、紀伊國屋演劇賞受賞。1977年頃、西田敏行や武田鉄矢と共に、バラエティー番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』に出演し、コントを披露した。1982年、五木ひろしとのデュエット「居酒屋」が大ヒットを記録。現在は「阿OKUNI国」、「伝説の女優」など多くの舞台に出演。ドラマ、CMなどでも多岐に活躍している。1960年代頃から現在までミニスカートを着用することもある。とても口が大きい